【富山旅行ルート図】東京→長野→富山(泊)→立山駅→室堂(泊)→扇沢→信濃大町→松本→東京

東京駅→海王丸パーク→新湊きっときと市場→庄川峡
【7:15】東京駅7:20発の「かがやき503号」で富山に向かいます。途中の停車駅は大宮、長野だけなので2時間5分で到着の予定です。こんなに速く行けるとはびっくりです。車中で寝る暇もありませんでした。

【9:15】富山駅に近づくと車窓から雪をかぶった立山連峰が望めました。素晴らしい景色です。明日はあの山々のどこら辺にいるのだろう?

【9:25】富山駅で改札口上の看板が出迎えてくれました。Welcome to Toyama 声に出すと響きの良い言葉です。富山旅行の始まりです😀

【9:50】何時もの通りチョット道を間違えましたが無事たどり着きました。トヨタレンタカーで1人で受付をチャッチャと済ませいていました👏👏

【10:30】まずは海王丸パークへ。皆の行いが良いので素晴らしい青空です。海王丸と新湊大橋の間に綺麗な立山連峰を見る予定でしたが...次の時の楽しみにとっておきましょう。

【11:04】新湊漁港で獲れた新鮮な海の幸を提供してくれる新湊きっときと市場で昼食です。「きっときと」とは富山弁で「新鮮な」と言う意味だそうです。期待が高まりますね(^^♪

【11:22】市場を一巡して「湊寿し」で昼食です。見るからに美味しそうな鮨がでてきました😀😀。ラインの外野席から「昼に寿司?いいですなぁ~」の声が聞こえました。

【12:58】1時間半のドライブで庄川峡に到着です。小牧港から出港する長崎橋周遊コースで新緑を楽しみます。1日に9:50、13:20発の2便ですが丁度午後の便に間に合いました。

【13:29】小牧港を出て長崎橋でUターンして小牧港に戻る約25分の周遊です。眩い新緑に映える赤いアーチ橋をくぐります。
民謡が流れる遊覧船
【13:35】この場所は小牧ダム建設により水没した渓谷にできたダム湖です。両岸の新緑を映し出すエメラルドグリーンの湖面に創られた遊覧船の航跡に見惚れます。

道の駅たいら→五箇山合掌の里→菅沼合掌造り集落→宿泊HOTEL
【14:23】道の駅たいらで缶コーヒータイム。庄川沿いに上流の五箇山に向かいます。今でこそたくさんの観光客が訪れる場所ですが、40~50年前までは交通の不便さ故に”鳥も通わぬ陸の孤島”と呼ばれていたそうです。

【14:34】駐車場の一角に久しぶりにナナカマドの花を見つけました。秋の鮮やかな紅葉と冬まで残る赤い実は登山をしていた時に眼を楽しませてくれました。

【15:00】五箇山合掌造り集落の内、集落が大きい相倉集落を目指したのですがどう間違えたのかここに出て来ました。相倉集落はまだ先だと思い途中で工事の方に聞いたりして合掌造りの集落らしき場所に向かいます。

【15:07】到着した集落の案内所は休みでした。駐車場を通り抜けて歩くと確かにポツポツと合掌造りの家が建っているのですが姉は「前に来たことがあるけどなんか違う」と言っております。

【15:15】何も知らない我々は「30年も経てばこうなるんですよ」と無責任な事を言っております。この合掌造りは立派に保存されている方ですが他は?世界遺産??どうやらここは相倉合掌造り集落ではないようです。

【15:30】車で最初に見た標識の所に戻ります。こちらが相倉集落に次ぐ世界遺産菅沼合掌造り集落です。先ほどの無駄歩き分をエレベーターで取りもどします。

【15:35】この案内板を見てやっと分かりました。最初の場所は案内板右側の「五箇山合掌の里」でした。

【15:39】そして今いるのは案内板左側の「世界遺産菅沼合掌造り集落」です。現在9棟あり幾つかは食事処、土産物屋として使われています。

【15:43】家屋は生活と共に養蚕や塩硝作りという仕事場にも使われる大きなものです。塩硝とは主に五箇山(加賀藩)で生産される硝石のことで鉄砲火薬の原料です。

【15:45】やはり生活していると保存状態も良いのでしょうね。見事な合掌造りを見学できました。

【17:15】ラッキーにもトヨタレンタカーの目の前にJALシティ富山がありました。仙台、長野に続いて3箇所目の利用ですがゆったりとして快適に寛げます。さらにビュッフェの朝食は美味しいとの折り紙つきです。

【18:18】夕食は「炙庵とやま鮨」です。各自で好きなものを注文して分け合いました。もちろん「富山湾の宝石」と呼ばれるシロエビ料理も注文しました😀😀。ご飯がわりと思って注文した大人のかんぴょう巻きは何と!涙が出るほどの辛いワサビ入りでした😢

【18:57】ワサビの不意打ちをくらい危うく富山の薬売りのお世話になるところでした。ちょっと大袈裟かな?


楽しい1日目を過ごしました。明朝の電車が早いので遊びもせずHOTELに直行です。
今回の旅行も大筋のルートは私が決めましたが細部は兄が計画してくれました。左うちわのプランナーです。